東京地方裁判所 平成5年(ワ)5582号 判決
原告
寺田彭
被告
株式会社さくら銀行
右代表者代表取締役
末松謙一
右訴訟代理人弁護士
太田恒久
同
石井妙子
同
深野和男
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一六〇〇万円及びこれに対する平成五年四月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告が被告の行員であった昭和五七年六月二八日に当時の人事部長から翌年四月一日付で参事に昇格することを約束されたと主張し、被告がその履行をしなかったことを理由として、原告が被告に対し、慰謝料・逸失利益合計一六〇〇万円の損害賠償を求めている事案である。
二 争いのない事実
1 被告は、株式会社三井銀行(以下「三井銀行」という。)と株式会社太陽神戸銀行との平成二年四月一日合併により発足した株式会社太陽神戸三井銀行が平成四年四月一日に商号変更した、普通銀行業務を取り扱う株式会社である。
2 原告は、昭和二七年四月三井銀行に入社し、昭和五八年四月一日当時、副参事の資格にあったが、同日の昇格人事の定例発表の際、参事に昇格しなかった。当時の人事部長は前田一郎(以下「前田部長」という。)であった。
3 原告は、昭和六三年一一月三〇日に満六〇歳の定年で三井銀行を退職した。
三 当事者の主張
1 原告
(一) 原告は、昭和五七年六月二八日午後八時頃、前田部長の命で部長室に出頭した際、同部長から、「寺田さん、僕がやりますよ。」と宣言された。その席には、山崎稔人事部副部長(以下「山崎副部長」という。)及び桜井康勝前人事部長(以下「桜井前部長」という。)も同席していた。原告は、右前田部長の発言に感謝し、厚く謝辞を述べて退出した。
右宣言は、昭和五八年四月一日の昇格人事の定例発表日に、原告の資格を副参事から参事へ昇格させる約束の意思表示であった。
(二) しかるに、同年四月一日には、人事部から原告への昇格通知はなく、同月五日に至って、同部への出頭指示を受け、人事部面接室で、前田部長は、人事部副部長山本憲男同席の上で、「あなたは、小山相談役に内容証明を出しましたね。そのため私が呼びつけられ、小山さんは激怒していられた。かかる上は、あなたには何もしてやれない。」といわれ、原告の参事昇格は実現不能となった。
(三) 右内容証明は、当時信倚中の弁護士後藤徳司が独断で作成し、原告の三文判を使用して原告の了解なく発送したものである。原告は、平成四年八月に弁護士法に基づく紛議調停の申立ての結果、このことを知り得たものである。
(四) 三井銀行は、内容証明を遅くとも昇格者発表日の一〇日前に受領していながら、原告に釈明の機会を与えることなく、原告の昇格不可を決定した。この内容証明に先立つ原告の別の内容証明は、原告が自ら押印したもので、これは原告の実印を押印したものであったが、三井銀行は、この印鑑の相違を不注意にも看過した。
(五) 三井銀行のした原告に係る人事処分は、債務不履行であり、禁反言の法理ないし信義誠実の原則及び権利濫用の禁止の原則等に徴し、違法不当であるから、原告の受けた損害を賠償すべき義務がある。
(六) 原告は、昭和五八年四月一日に昇格不能となったことにより、昭和六三年に退職するまでの間に、年収約一〇〇万円の割合で、少なくとも合計六〇〇万円の逸失利益の損害を受けた。
(七) また、右昇格不能により、原告が受けた精神的損害は莫大であり、例えば、エリート意識の強い妻とその親族から参事不昇格を蔑まれたり、金融機関の支店長以上の経験者多数を擁する同窓会においても、原告が副参事に終わったことを、「在職中、不祥事でも起こしたのか。」と不信がられるなど、肩身の狭い思いが現在も続いており、これからも原告の社会活動面で積極性が増すにつれ、右昇格不能に起因する苦汁をなめる機会が増えることは必定であり、その金銭評価をいかに謙抑しても、一〇〇〇万円を下らない。
2 被告
(一) 原告が昭和五八年四月に参事に昇格しなかったのは、原告の人事評価が参事昇格基準に達しなかったからであり、同年三月一七日付内容証明が参事不昇格の理由ではない。
(二) 前田部長が原告主張のような約束をしたことはない。参事昇格は、人事考課に基づき経営会議の決済を経て行われるものであって、人事部長が、六月の時点で、一〇か月も先の翌年四月の参事昇格等人事の約束をすることは、およそあり得ない。
第三判断
一 原告は、昭和五七年六月二八日午後八時頃、前田部長が原告の資格を昭和五八年四月一日の昇格人事の定例発表日に副参事から参事へ昇格させる約束の意思表示をしたと主張し、前田部長の命で昭和五七年六月二八日に部長室に出頭した際、同部長から「寺田さん、僕がやりますよ。」と宣言されたことが、その意思表示である旨を附陳するが、これに沿う原告本人尋問の結果は、もはや一〇年以上も経過した後の記憶に基づくものであって、確たる裏付の証拠を欠くから、採用することはできない。他に原告主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
二 もっとも、証拠(<証拠・人証略>)によれば、前田部長は、昭和五七年五月二七日に三井銀行の人事部長となり、その後、原告の処遇の問題について桜井前部長を引き継ぐ旨を原告に対して述べたことが認められるが、その経緯については、証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、昭和二七年四月、三井銀行に入社し、九州、関西の営業店に勤務した後、日本生産性本部へ出向し、本店調査部経営相談所、本部詰めを経て、昭和五七年四月、ウエスト電子株式会社に出向した。
2 三井銀行は、昭和五六年四月一日、定年年齢について満五五歳を満六〇歳に達した月の末日まで延長することを実施し、満五五歳に達した行員については、翌月一日をもって一般行員から特別職行員になるものとし、その職務遂行能力に応じ資格の区分を行い、一般行員時の資格が事務行員副参事であった者は原則として事務系一級とする旨の人事制度を定めた。
3 その頃の三井銀行の事務行員の昇格は、資格規定第四条に基づく基準により行うものと定められ、そのうちの参事は、副参事における最終三回の能力考課の決定標語が、第一回目B以上、最終二回Aの者、又は第一回目A、第二回目B、第三回目Aの者、その他審議制度も併用する、と規定されていた。
参事昇格の時期は、毎年四月一日付であり、その選定方法は、当年一月に、毎年一年間の勤務実績を踏まえた考課表及び昇格申請書が所属部から人事部に提出され、人事部において三月中旬頃までに参事昇格候補者を選定し、三月下旬に常務会(昭和五八年以降は経営会議)に付議され、決済を得るという手順で行われていた。
4 原告は、三井銀行において、かねてから上司に対して自己の人事考課を含めた人事制度に不満を訴え、また、行内の業務運営等を批判してきたが、昭和五七年六月二九日の株主総会で経営方針について問題提起のための質問をする決意でいたところ、同月二八日朝、山崎副部長から出頭を求められ、午後六時頃から人事部長室で桜井前部長、前田部長、山崎副部長と面談した。
原告は、弁護士とも相談したうえ、株主総会での質問事項を事前に通告する目的で出頭したが、結局、主として思い出話しが和やかに交わされ、その中で、前田部長が、原告に対し、原告の処遇の問題について桜井前部長を引き継ぐ旨を述べた。原告は、当日の日記に、「明日の私の行為を引き止めようとする彼らの言辞を受容することとした。」と記載し、翌日の株主総会の出席を取り止めた。
5 原告は、昭和五八年四月一日が年齢的に参事昇格の最後の機会であったところ、参事昇格基準に全く達していなかったため、人事部において同時期の参事昇格候補者として選定されず、したがって参事に昇格することなく、同年一一月に満五五歳を迎えたが、当時の資格が副参事であったので、翌月一日以後は事務系一級の資格となった。
6 その後の昭和六〇年四月一日、三井銀行は、人事制度を改定し、事務系特別職行員については、従来の資格体系が上位から理事待遇、参事待遇、副参事待遇、事務系一級、二級、三級、四級となっていたものを、理事待遇、参事待遇、事務系一級、二級、三級A・B、四級A・B・Cと格付けすることとし、副参事待遇という資格を廃止した。原告は、昭和六二年四月、資格が事務系一級であったところ、参事待遇に昇格した。
右事実によれば、原告の処遇の問題について桜井前部長を引き継ぐ旨の前田部長の言辞は、原告の不満が強い処遇問題について検討する職責に就いたことを表明したものであるにすぎないのであって、これが昭和五八年四月一日の昇格時期に原告を副参事から参事に昇格させることを約束したものであるというべき状況にあったとは、到底認められない。仮に、原告主張のとおり、前田部長が「寺田さん、僕がやりますよ。」と述べたことがあったとしても、どのような会話の中で述べられたものかも明らかでないばかりでなく、当日の会談の状況からみて、着任間もない前田部長が原告の過去の考課表に基づかずに一〇か月余り先の昇格人事を約束したものとは考えられないのであって、本件全証拠によっても、その趣旨が前記表明を越えて原告主張のとおりの意思表示であったものと認めることはできない。
なお、原告は、昭和五八年三月一七日付内容証明郵便をもって原告名義(これが原告の意思に基づくものであるかどうかは別として)の小山五郎宛の上申書が提出されたことが参事不昇格の原因であると供述するが、これを認めるに足りる証拠はない。
三 以上のとおりであるから、原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。
よって、主文のとおり判断する。
(裁判長裁判官 遠藤賢治 裁判官 飯塚宏 裁判官 佐々木直人)